top of page
特集記事

備忘録…人は自分と向き合った深さまでしか他人と向き合えない

  • 2月11日
  • 読了時間: 3分

先日国際コンペの受賞式へ行ってきました。

その時のお話はまたにして東京行った際に色んな方とお逢いしたり美術館やミュージアムへ足をはこび沢山の刺激を頂きました。


ふと頭の片隅に

「人は自分と向き合った深さまでしか 他人と向き合えない」

そんな言葉が降りてきました。


脳科学のミラーニューロン(共鳴する脳細胞)でも自分が体験した事しか共感できないって言われてて確かに人間てそんな気がすると思った。


注)ありのままに文章書くから3回は見返さないと多分理解が難しいかも。。。



例えば

「痛みがわかる人」とは、痛みを経験したことがある人。

転んで膝を擦りむいたことがない人は、他人が転んでも「物理的に倒れた」という事実は認識できても、あのヒリヒリする痛みまでは共有できないというわけだ。


脳は相手の体験を「自分の過去のデータ」に照らし合わせてシミュレートしてる。

もっともっと掘り下げて自分と向き合うって具体的にどうゆう事かと言うと、何も無い所で転んで膝擦りむいた、めちゃくちゃ痛いし情けねぇ。そんな事が自分にあったとしよう。

しかしそこで良し悪しに考えるのではなく

「まぁ人間だから転ぶ事もあるわ~そんな時もあるよね」って自分を認めてあげる。


そうすれば他人におきた時、同じ様にまぁ人間転ぶ事もあるわな。共感できるはず。


逆にそれができてない人は

相手の行動を見た時、何も無いのになぜ転ぶん?!と外側から見た表面的な批判的な内容だけで終わってしまうだろう。


ドジな自分もあるよな~、と認めておくと他人が同じ様にドジな事あっても「わかるよ、人間だもん」と深く向き合えるって仕組み。


転んで大丈夫?とかそうゆう声がかけれるかの優しさがどうこうってわけではない。


記憶の断片が共鳴して作品になる


前置きが長くなったが美術館で見た絵画、コンペで上位にある芸術性の高い表現には非常に密接な関係があると感じたわけだ。

自分と深く向き合い、自分の感情を細かく知っている人ほど、被写体の中に「自分と同じ響き」を見つける感度が異常に高く

過去の膨大な視覚体験や肌身で感じた事、感情を頭の中で照合し、最適解を出した結果なんだろうなと思う。


自分自身と向き合い、内面を深く掘り下げてきたからこそ、その「データベース」が豊かになり、結果として表現の深みに繋がっているはず。


​「人間て見る聞く肌身で感じた経験したことしか表現できない」とよく言われてるが、まさに自分の中にその感情の辞書がないと、クリエイティブな作品作りの発想力や瞬間にシャッター切るようにそもそも脳が反応しないはず。

Aiには表現できない人ならではの感性もここにある答えだと思う。


物事を批判的に見れば視野は低い、(例、何で転ぶんワラワラ)


自分を認めてあげる人は視野が広い(例、人間転ぶ事もあるわな。)


クリエイティブな発想力もそうだし人間関係も類は友を呼ぶではないが視野が低い浅い人と共鳴しないのはそうゆう事なんだろう。


​「自分と向き合った深さまでしか他人(や世界感)と向き合えない」


でした。


コメント


最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Instagram
  • YouTube

Copyright ©KATSUYA MIKAMI All Rights Reserved.
 

bottom of page